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千葉行徳宿をぶらり3

旧江戸川沿いの千葉県側(市原市)を歩いてみました。


旧江戸川から行徳街道へと戻り、
今回の目的であった本行徳の寺社仏閣めぐりへと向かった。

行徳一丁目から妙典駅に向かって
「寺町通り」と呼ばれる通りがあり、
その名の通りこの界隈には
多くの寺院が点在する。

古くは「行徳千軒寺百軒」ともいわれ、
当時は地続きだった中山の法華経寺から
巡礼が組まれていた。

ここから成田山を目指すわけであるが、
面倒になってここでお参りをすませ、
江戸へもどってしまうものもいたという。

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寺町通りと旧行徳街道の交差点には三つの寺が道を隔てて立っている。
その三つの寺を紹介しよう。

まずは「徳願寺」

徳願寺は埼玉県鴻巣にある勝願寺の末寺であったが、
徳川家康の帰依により、
慶長十五年(1610年)に、
徳川の「徳」と勝願寺の「願」の二文字をとって
徳願寺と名が付けられた。
宮本武蔵ゆかりある寺としても知られているらしい。
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次に「長谷禅寺」
案内板に、山号の別称「塩場山」とあった。
塩焼き労働者の信仰を集めていたという。


そして「常運寺」
常運寺は小田原北条氏の家臣野地氏
によって元和2年(1616)に建立。
この寺は病が治らない人が祈願すると、
枕を返したように良くなったので、
枕返しのお祖師さまと呼ばれるようになったとのこと。
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さらに進むと左手に「法善寺」右手に「妙覚寺」がある。
法善寺は慶長五年(1600)宋玄和尚の開基と伝える浄土真宗の寺院。
宋玄和尚は俗名を河本弥左衛門といい、
かつて、片桐旦元の家臣として豊臣家に使えていたが、
関ヶ原合戦ののち行徳に来住し、
仏門に帰依してこの地に一寺を建立したのが、
この法善寺の起こりという。
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妙覚寺は中山法華経寺の末寺。天正14年(1586)日通上人の創建。
境内には東日本ではめずらしい、
千葉県で唯一のキリシタン灯籠(織部灯籠)がある。
江戸初期もしくは前期作の灯籠。
中央下部に舟形の窪み彫りがあり、
中にマントを着たバテレン(神父)が
靴をはいた姿が陽彫されているとのこと。



妙覚寺を過ぎたあたりから右に折れ、
この界隈が細い道で入り組んでいるところへと入っていった。

車も通れない程の道は実は歴史があり、
あの将軍様もよく利用したとのこと。
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【行徳にこんなのあります】

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